畏敬の念の意味・使い方・例文・類語とは?尊敬/敬意/畏敬の念を抱く
「畏敬の念を抱く」という文章で使われることの多い「畏敬の念」とはどういう意味でしょうか。尊敬や敬意などの違いや、畏敬の念の意味を解説すると共に、例文を踏まえて使い方を詳しく説明します。併せて、畏敬の念の代わりに使える類語や、英語表現、対義語も紹介します。
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畏敬の念の意味とは?
畏敬の念の意味①神仏などに対して畏れ敬う気持ち
畏敬の念の意味の1つ目は、神仏など人間を超越した存在に対して感じる畏(おそ)れや敬う気持ちを指して言います。畏れとは、同音異字の「恐れ」と同じで恐怖するということです。みだりに逆らえば悪いことが起きるのではないかと心配するような心持ちも含まれます。
念とは気持ちや、想いという意味があります。単なる尊敬と異なり、畏れの気持ちを含むことによって、抗うことのできない存在に対する恭順の意や、信仰する気持ちも含めた意味を持っているのです。
畏れというニュアンスを持つ畏敬の念という言葉は、主に神仏などに対して使われることが多いです。また、神仏をかたどった像などに対しても使われることがあります。
畏敬の念の意味②自然などに対する敬意と畏れ
畏敬の念の意味の2つ目は、自然などの大きな存在に対する敬意と畏れの感情を指して言います。神仏と同様に、自然現象の多くは人間が抗い逆らう事ができないため、畏れ敬うのです。
また、人間が作り出すことのできない自然の美しさなどに対しても、感動の気持ちを込めて、畏敬の念と表現する場合もあります。人間が敵わない自然に対して、感心し、更に謙虚な気持ちになる心情を表すのです。
畏敬の念の意味③他人の行いに対して抱く強い尊敬の意
畏敬の念の意味の3つ目は、他人が成した行いに対して抱く強い尊敬の気持ちを指して言います。神仏や自然などと比べて気軽に使われる表現で、自分ではとうてい成しえないことに対して、ただの尊敬よりも更に強い敬意を表す時に使います。
尊敬や敬意とはより尊敬しているという点でニュアンスが違う
畏敬の念の意味の3つに共通する、尊敬や敬意とのニュアンスの違いは、より尊敬の度合いが強いことです。尊敬すべき対象があまりにも偉大すぎる場合には尊敬を超えて畏怖すら覚えることがありますが、それを一言で表したのが「畏敬の念」なのです。
尊敬する、敬意を表するといった言葉が、単純に尊ぶ気持ちであるのに対し、畏れの感情を含むほどの尊敬の度合いが強いというニュアンスの違いがあるんですね。また、尊敬が誰に対しても感じられる感情であるのに対し、対象が神仏や自然、偉人など、自分よりも上位の存在に対して感じる気持ちであることも違います。
畏敬の念と、ただの尊敬は、自分の努力で成しえるかどうかが使い分けるポイントです。尊敬はするけども努力によって自分もその行いをできるのであれば、尊敬を使い、自分がいくら努力しても絶対になしえないと感じるものに対しては畏敬の念を使うと分かりやすいでしょう。
畏敬の念の使い方・例文は?
畏敬の念とは一般的に文学的な表現としての使い方が多い
畏敬の念の一般的な使い方としては、文学的な文章の上での表現としての使い方が多いです。「畏敬の念」という言葉は口語で使うにはやや堅苦しい言い回しのため、会話よりも文章で使われることが多いのです。
しかし、会話で使ってはいけないわけではありません。丁寧に話したい時や、かしこまった席、スピーチの際、尊敬の気持ちを強く伝えたい時などに用いると自然です。
使い方・例文①彼の行いには畏敬の念を抱く
使い方・例文の1つ目は「彼の行いには畏敬の念を抱く」です。誰かがした行いや、偉業、成し遂げたことなどに対して、自分では到底できないという強く深い尊敬の気持ちを込めて賞する時に使います。
この例文は、近年使用シーンが多くなってきた使い方で、自分以外の他人に対する尊敬をより強く表すときに使います。自分が成しえないと思わない場合でも、尊敬の意を強調する際にも用いられます。
誰かの行いに対して畏敬の念を覚えたと伝える場合、会話の上ではその相手の偉業を列挙したり説明した上で、畏敬の念を覚えた、と締めくくるようにします。
使い方・例文②畏敬の念をもって儀式に臨む
使い方・例文の2つ目は「畏敬の念をもって儀式に臨む」です。神社でのご祈祷や、寺でのお参りなど、神仏に対して敬う気持ちや、厳かな気持ちをもって臨む時に使うと良いでしょう。
日本の神道、仏教に限らず、キリスト教、イスラム教など他宗教における儀式など、全ての宗教の儀式に臨む際に用いることができます。格式ばった儀式だけでなく、毎日のお祈りのようなものでも神仏に相対して行うものに対しては使えます。
- ・厄払い、安産祈願、宮参りなどのご祈祷
- ・各宗教のお祈り
- ・お遍路
畏敬の念をもって臨むような儀式の例
儀式や行事の主催、目的などに対して畏れ敬う気持ちをもって参加する際に用いるので、自分が主体で主役の行事を行う際に使うのは相応しくありません。自分に対して畏敬の念を抱く、という意味になってしまうからです。ただし結婚式の披露宴ではなく、挙式など神仏の前でたてる誓いの際には使っても大丈夫です。
使い方・例文③畏敬の念を禁じえない
使い方・例文の3つ目は「畏敬の念を禁じ得ない」です。これは自分以外の人や自然、神仏全てに対して使える例文で、見聞きしたことに対して、畏れ敬う気持ちや、尊敬の意を感じることを抑えられないシーンで使います。ポイントは、自然と畏敬の念が湧いて仕方がないというところです。
- ・大自然の凄さに触れたとき
- ・世界遺産を目の当たりにしたとき
- ・偉人の伝記を読んだとき
畏敬の念を禁じ得ないが使えるシーンの例
例えば並大抵の努力では成し遂げられない偉業を成した人物の功績について語る時や、大自然が作り出した幻想的な景色、あるいは荘厳な神社や教会、寺などを目にしたときなどに使えます。感動を表す言葉でニュアンスの異なる「感慨深い」について解説されたこちらの記事も参考になりますよ。
畏敬の念の類語は?
畏敬の念の類語①神仏に対して「崇拝する」「信仰する」
畏敬の念の類語の1つ目は、神仏に対する意味での「崇拝する」「信仰する」です。神仏に対する畏敬の念は、神仏を信じ仰ぐことと同義のため、対象が神仏である場合には、崇拝するや、信仰するなどの言葉で言い換えができます。
「信仰する」は宗教を信じるという意味であり、「崇拝する」は信仰する宗教の神仏を信じて崇めるという意味です。一般的には宗教に対して使われますが、物や概念に対しても使われる言葉です。
- ・尊(たっと)ぶ…尊敬すること
- ・帰依する…宗教や神仏を信じ、心の頼りにすること
- ・崇め奉る…超越した存在を尊いものとしてつつしみ敬うこと
その他の神仏に対する畏敬の念の類語
畏敬の念の類語②人に対して「頭が下がる」「恐れ入る」「頭が上がらない」
畏敬の念の類語の2つ目は、誰か他人に対する意味での「頭が下がる」「恐れ入る」「頭が上がらない」です。他人の偉業や、行為、またはその人物自身について畏敬の念を抱く場合、敵わないというニュアンスが含まれるため、この言い換えができます。
「頭が下がる」は、他人の行為に対して心底感心する様を表します。「恐れ入る」は感動して相手をたたえたくなる気持ちを表しています。「頭が上がらない」は、権力のある人に対して屈服する意味もありますが、相手に対して心から感心したり感服の意を抱く様子を表しています。
- ・称賛に値する…褒め称えるべき価値がある
- ・感服する…感心してもっともだと思うこと、また敬服すること
- ・見上げたもの…感心し尊敬する気持ち
敵わない、感心するという意味でのその他の類語
畏敬の念の類語③自然に対して「畏怖の念」「敬虔な気持ち」
畏敬の念の類語の3つ目は、自然に対する意味での「畏怖の念」「敬虔な気持ち」です。「畏怖の念」とは畏れおののくことであり、畏敬の念の畏れの面を強調した言い換えになります。
また、「敬虔な気持ち」とは、敬う気持ちから自らの態度をつつしもうとする気持ちを言います。敬虔な気持ちについては、自然だけでなく、神仏に対して感じる畏敬の念のニュアンスとしても言い換えができる表現であり、しばしば「敬虔な教徒」で表現されるように宗教を真摯に信仰する様としても使われます。
- ・謙虚な気持ちになる…自分を偉いものと思わず素直になること
- ・厳粛な気持ちになる…厳しく、おごそかな気持ち
- ・畏れを抱く…恐れ怖がる気持ち
- ・神聖な気持ちになる…清らかで犯しがたい気持ちになる
自然に対する畏敬の念の類語・言い換えの表現
畏敬の念の対義語は?
畏敬の念の対義語①軽蔑
畏敬の念の対義語の1つ目は、「軽蔑」です。「軽蔑」とは敬うことのできないような対象を、ばかにし、軽んじたりさげすむような状態を指して言います。畏敬の念が敬う気持ちであるため、蔑む気持ちを表した「軽蔑」が対義語になります。「軽蔑」は人間の行いに対して使い、神仏や自然に対しては使わない所がポイントです。
- ・彼の行為は軽蔑に値する
- ・友達に軽蔑されてしまった
軽蔑の例文
畏敬の念の対義語②見くびる
畏敬の念の対義語の2つ目は、「見くびる」です。畏敬の念の意味の中でも、他者の行為などについて感じる尊敬の意の対義語になります。見くびるは、大したことはないと甘く見ることや、相手を侮ること、また、見下すという意味があります。
- ・相手のチームを見くびったので負けそうになった。
- ・あまり見くびらないで欲しい。
見くびるの例文
畏怖の念の対義語③軽んじる
畏怖の念の対義語の3つ目は、「軽(かろ)んじる」です。「軽んじる」は、物事や行為を重要だと考えないで甘く見たり、ばかにしたりすることです。これは対人間に対してだけでなく、神仏や自然に対して感じる畏怖の念の対義語としても使えます。
- ・彼はあの宗教を軽んじている。
- ・自然を軽んじた結果、大災害に発展した。
- ・彼を軽んじるつもりはない。
軽んじるの例文
畏敬の念の英語表現は?
畏敬の念の英語表現①reverence
畏敬の念の英語表現の1つ目は、「reverence」です。「reverence」は名詞で、主に神仏や自然に対する崇拝、畏敬の念、恭順、といった意味が含まれる英単語です。「reverence」は畏敬の念と直訳されますが、日本語においては「尊敬」と訳されることも多い単語です。
「畏敬の念をもって」を英訳すると、「with reverence」となります。このため、「彼に畏敬の念をもって接する」という日本語の場合、「I treat him with reverence.」と訳すことができます。
畏敬の念の英語表現②awe
畏敬の念の英語表現の2つ目は、「awe」です。自然に対して抱く畏れの面を強調する場合に用いる単語で、直訳では「畏怖」という意味になります。人間や神仏に対する尊敬ではなく、畏れ厳粛な気持ちになった時に使えるニュアンスです。
「私は自然に対して畏敬の念を覚えた」を英訳すると、「I felt awe in respect of nature.」となります。
尊敬よりも上位の「畏敬の念」を使いこなそう
畏敬の念は通常の尊敬や敬意と異なり、より強い尊敬や対象に感じる畏れも含めて表す場合に用いる言い回しです。類語はたくさんありますが、その対象が神仏なのか、自然なのか他者に対してなのかによって、用いるべき類語が異なります。
また、強い尊敬の意を表すため、畏敬の念はあまり多用する言葉ではないことに注意しておきましょう。単純な尊敬や敬意とは異なるニュアンスをしっかり理解して、会話で使いこなせるといいですね。
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