いろはにほへとの続きは?いろは歌の全文と意味の解釈・覚え方のコツも
「いろはにほへと」のいろは歌は有名です。しかし、全文を知っている人は少ないですよね。そんな「いろはにほへと」の続きについて紹介します。また、いろは歌の覚え方やいろは歌の意味の解釈などについて紹介します。そして、いろは歌を全文漢字に表記も紹介していきます。
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目次
いろはにほへとの続きは?いろは歌の全文!
いろはにほへとの続きとその用途|前半編
「いろはにほへと」で始まるいろは歌は、全文をひらがなで見ると七五調という和歌や詩などで用いられるリズムを指す韻文であり同じ文字が1つも使われていないということが分かります。平安時代に「いろはにほへと」から文字を覚え練習するための手習い歌として普及されるようになりました。そんな続きの前半がこちらです。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ
いろはにほへとの続きとその用途|後半編
「手習い歌」とは「ひらがなを習うための歌」という限定的な意味があり、基本的にはいろは歌のことを指します。元々漢字で成り立つ誦文であったと言われていますが、中国から来た「漢字」が日本人には複雑であったためにひらがなも必要になり手習い歌として活用されたと言われています。そんないろは歌の後半がこちらです。
うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせすん
字を書き練習する上で悩む人が多いのが「字が汚い」ということです。しかし、文字というものは無闇矢鱈に書きなぐっても上手くはなりません。字が汚い人は自分の内面から見直したり、字が綺麗な人がどんな心持ちで書いているかを知る必要があるでしょう。こちらの記事を参考にして文字の練習をしてみてください。
実はいろは歌全文には当初「ん」は存在しなかった
いろは歌は現在でこそ48音からなる歌ですが、実はそもそもは最後の「ん」はありませんでした。しかし時代と共に「ひらがなの手習い歌」として普及し始めると、48音すべてを網羅する必要性が出てきたために後付として半ば無理矢理に「ん」を付け足したのです。また、いろはかるたにおいては最後は「京」とされています。
いろは歌の「いろはにほへと」は数え歌としても使われている
いろは歌は「いろはにほへと」から始まり、一文字も同じ文字を使わないということで数え歌としても使われていました。江戸時代の火消屋という現在の消防隊にあたる人達がグループ分けをするために使い始めたと言われ、47組が活動していました。そのうちに「ん」が加えられ最終的に48組が存在していたと言います。
いろはにほへとを使ったいろはかるた
江戸時代、西洋の影響を受けて現れたのがいろはかるたです。いろはにほへとやその続きの一文字一文字と対応させた頭文字を持つことわざを、文字札と絵札にして取り合っていく室内ゲームです。使用されることわざはその土地や時代によって地域性を出したり下品なものを置き換えたりと未だに変化し続けています。
「いろはにほへと」から始まる「いろは歌」の全文を漢字で表記すると?
「いろはにほへと」の続きの「いろは歌」全文漢字表記
「いろはにほへと」から始まるいろは歌の漢字表記が出来たのは平安時代という説があります。その当時大流行したと言われているのが七五調の今様歌です。「今様」とは「現代的」という意味の言葉で、7と5で1セットとしそれを4セット用いるのが定形とされています。そんないろは歌の続きを漢字表記したものがこちらです。
色は匂へど 散りぬるを 我が世誰ぞ 常ならむ 有為の奥山 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
日本最古のいろは歌は万葉仮名で書かれている
「いろはにほへと」で始まるいろは歌ですが、日本最古のいろは歌は万葉仮名で7音区切りで表されているといいます。万葉仮名は、奈良時代頃に中国から伝来した漢字に当時の話し言葉の音を合わせた当て字です。これを用いて金光明最勝王経音義という仏典の注釈書にいろは歌が書かれています。
以呂波耳本へ止 千利奴流乎和加 餘多連曽津祢那 良牟有為能於久 耶万計不己衣天 阿佐伎喩女美之 恵比毛勢須
「いろはにほへと」から始まる「いろは歌」の意味の解釈は?
「いろは歌」の解釈|いろはにほへとちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)
「いろはにほへと」のいろは歌には様々な説がありますが、まず「いろはにほへとちりぬるを(色は匂へど散りぬるを)」の「色」とは桜の花を指し、匂いそうに咲くという事を表していると言われています。つまり「色は匂へど散りぬるを」は、「桜の花だって咲いてもいずれ散ってしまうものである」という解釈になります。
「いろは歌」の意味の解釈|わがよたれぞつねならむ(我が世誰ぞ常ならむ)
「わがよ(我が世)」とは「世を自分のものだと言える成功者」という解釈と「自分の生きているこの世の中」という解釈があります。そして「常ならむ」の「ならむ」とは「なる」に推量の「む」が付くことで「なるだろうか」という疑問になります。つまり「この世の誰でも不変でいられるだろうか(いや、いられない)」です。
「いろは歌」の解釈|ういのおくやまけふこえて(有為の奥山今日越えて)
「ういのおくやま(有為の奥山)」という地名のようなものが突然出てきます。「有為」とは仏教用語で「何らかの因縁で起こる物事全て」、つまり人生での様々な出来事を指す言葉です。いろんな事が起こる人生を山に例えた一説ということです。「人生という深い山を今日乗り越えていく」という決意が表れています。
「いろは歌」の解釈|あさきゆめみしゑひもせすん(浅き夢見じ酔いもせず)
「あさきゆめみし(浅き夢見じ)」の「浅い夢」とは、儚い幻のような夢のことを指します。そして「ゑひ(酔い)」はアルコールによっての酔いではなく、そんな儚い夢を見たりして自分に酔いしれるという意味の「酔い」です。つまり、「儚い夢を見たりして酔いしれたりせず安らかな心を持つ」という現実を見た言葉です。
いろは歌の作者や作られた背景は?
いろは歌の作者「空海」説
「いろはにほへと」から始まるいろは歌の作者として一番有力だと言われているのが真言宗の祖である弘法大師空海です。彼は「万物の祖」とも表され「庶民にも学問を」と説いた人でもあったことから、こんな奇跡的なものを子供や庶民にもわかりやすい手習い歌として作れるのは空海しかいないと思う人も多いです。
いろは歌の作者「柿本人麻呂」説
「いろはにほへと」から始まるいろは歌の作者として次によく挙げられるのが、飛鳥時代の宮廷歌人であったと言われている柿本人麻呂です。彼には謎が多く、当時のことを考察すれば「宮廷歌人」という職業はなく実質的な身分もあやふやです。しかし、残された歌が独創的であったために有力になりました。
いろは歌の作者「謎のお坊さん」説
「いろはにほへと」から始まるいろは歌の作者に関しては様々な候補やその否定が語られますが、いろは歌の内容が仏教の教えに則っているという解釈から誰かは分からないがお坊さんだという説があります。解釈の難解さと高尚さ、作りの複雑さから相当徳の高いお坊さんではないかであるという予想をする人もいます。
「いろはにほへと」のいろは歌の覚え方のコツは?
いろは歌の覚え方のコツ①繰り返し漢字で書いて覚える
「いろはにほへと」から始まるいろは歌の覚え方のコツ1つ目は、繰り返し漢字で書いて覚えるという方法です。なぜ漢字かというと、「いろはにほへとちりぬるを」と平仮名で書いても意味と結びつきにくく続きまでは記憶に残りにくいからです。全文を漢字で意味を考えながら何度も書くことでイメージで覚えることが出来ます。
いろは歌の覚え方のコツ②歌に乗せて覚える
いろは歌の覚え方のコツ2つ目は、歌に乗せて覚えるという方法です。昔からいろは歌になぞらえた楽曲というものはジャンル問わず少なからずあります。その中にはいくつか「いろは歌」や「いろはにほへと」だけでなく、その続きや全文を歌詞に組み込んでいるものもあります。メロディーに乗せることで効率的に覚えましょう。
いろは歌の覚え方のコツ③誰かと交互に言い合って覚える
いろは歌の覚え方のコツ3つ目は、誰かと交互に言い合って覚えるという方法です。一人で口に出して覚えるのはとても根気がいりますので、ゲーム感覚で覚えてみましょう。例えば、全文を一文ずつパート分けして何も見ずに言い合った後同じく全文7音と5音でパート分けに変更して先の人に続き答えていくというような形です。
世の中の大部分の人が悩むものといえば「記憶力」の問題です。人間は様々なことで「記憶すること」を求められます。今回はいろは歌を書き取ったり声に出したり音楽に乗せるなど比較的スタンダードな覚える方法を提案しました。根本の記憶力を上げたい方はこちらの記事を参考にしてみてください。
いろは歌は呪いの歌という説
いろは歌が呪いの歌という説がある
いろは歌の全文がいつ誰によって何のために作られたものであるか正しい解釈は何かなどの確実な説はありませんが、いろは歌を「呪いの歌ではないか」と考える人たちがいます。その理由は、いろは歌を金光明最勝王経音義のように7音ずつ分けたときに各節の末尾の文字を取って読むと「とかなくてしす」となるからです。
「とかなくてしす」の意味は「咎なくて死す」
「とかなくてしす」がなぜ呪いの意味を持つのかと言うと、「咎なくて死す」という風に漢字に変換出来るからだと言われています。その意味は「私は無実なのに死んでしまう」というものです。ここから無実の罪で殺されそうになりながらも内密に真実を伝えようと暗号を含ませた遺書文であると思われるようになりました。
メッセージを残したのは柿本人麻呂
では一体誰がこのメッセージを残したのかといえば、それは柿本人麻呂と言われています。なぜなら、同じように7音ずつ区切った場合に5文字目を縦に読むと「ほをつのこめ」となり、これが「本を津の小女」と読めることから「この本を津にいる妻に渡してくれ」という意味になるからだと言います。
「いろはにほへと」のいろは歌と同じルールで作られた作品
いろは歌と同じルールで作られた作品|雨降歌
いろは歌と同じルールで作られた作品1つ目は、日本を代表する国学者の本居宣長が作った「雨降歌」です。本居宣長は日本最古の歴史書の注釈書「古事記伝」を作った人ですが、一応歌人でもありました。この「雨降歌」はいろは歌と同じルールで作られた手習い歌で、今でも「謎」と言われている作品です。
雨降れば 堰関を越ゆる水分けて 安く諸人 降り立ち 植ゑし群苗 その稲よ まほに栄えぬ
いろは歌と同じルールで作られた作品|あめつちの詞
いろは歌と同じルールで作られた作品2つ目は、「あめつち(天地)の詞」です。いろは歌と同じく、重複しない清音48文字で組み立てられています。この作品は平安時代に春夏秋冬など固定のテーマで歌われた48首の最初と最後の文字を取り、日本人が発声しやすい言葉を選び並べ作られた手習い歌であるという説が有力です。
あめ つち ほし そら やま かは みね たに くも きり むろ こけ ひと いぬ うへ すゑ ゆわ さる おふせよ えのえを なれゐて
いろは歌と同じルールで作られた作品|君臣歌
いろは歌と同じルールで作られた作品3つ目は、儒学者であり書道家でもあった細井広沢の「君臣歌」です。細井広沢はかの有名な赤穂事件の協力者であり、他ジャンルに渡る有識者でした。君臣歌も一文字も被らずに作られた47文字の歌であり、細井広沢が儒学者であったことからいろは歌同様宗教的側面が強いとされています。
君臣 親子夫婦に兄弟群れぬ 井鑿り田植へて末繁る 天地栄ゆ 世よ侘びそ 舟の櫓縄
謎多きいろは歌は日本の歴史文化を知るきっかけになる
今回、「いろはにほへと」から始まるいろは歌についていろんな角度から考察しましたが、何一つとして確実な説は無く未だにたくさんの学者が解明しようと躍起になっているのがこのいろは歌です。いろは歌を知るには日本の歴史文化や宗教の流れについて知ることが不可欠です。今回をきっかけにもっと日本を知ってみましょう。
歴史文化について触れたら、次は現代の文化にも触れてみましょう。歴史を知ってから現代のことを知ると、今まで見えていたものがまた違って見えるかもしれません。日本の現代文化について手始めにわかりやすいところから知りたい方はこちらの記事から御覧ください。
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