諸行無常(しょぎょうむじょう)の意味は?使い方とは?類語/仏教

平家物語の冒頭「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」という一節でおなじみの「諸行無常」という言葉、今回はこの言葉の意味や起源をはじめ、よく似た表現の類語をご紹介します。さらに様々なシーンにおける「諸行無常」の使い方・文例もチェックしていきましょう。

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「諸行無常」の意味は?

「諸行無常」とは変化を意味する言葉

この世の変化を表す

「諸行無常(しょぎょうむじょう)」とは一言で表すと、変化という意味になります。それぞれの言葉を分解して見てみると「諸行」とは諸々の行い・この世のすべての事物や現象であり、そして「無常」とは「常ではない・変化する」という意味を指します。

つまり「諸行無常」とは「この世におけるすべての物事は常に変化し、一つ所にとどまるものではない」という意味合いになります。また、戒め的なニュアンスを含んでいるため、座右の銘として使われることも少なくありません。

もともとは仏教用語であった「諸行無常」

起源は仏教にあり

「諸行無常」は、私たちの生活の中でも日常的に使われる言葉ですが、その起源は仏教にあると言われています。仏教には三つの基本概念を示す「三法印」というものがあり「諸行無常」はこのうちの一つであるとされ、他の二概念(諸法無我、涅槃寂静)と共に、この世の理(ことわり)を表す言葉として伝えられてきました。

祇園精舎の鐘の声・諸行無常の響あり(平家物語)

海に消えゆく者

またこの「諸行無常」という言葉は、鎌倉時代に作られた「平家物語」の冒頭部分で使われていることでも有名です。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり(響きあり)」という一節は、栄華を極めた平家の没落を表したプロローグですが、学生の頃に古典の授業で暗記させられた思い出がある人も多いのではないでしょうか?

「諸行無常」は、言葉の意味をそのまま捉えると非常に達観した雰囲気で、少しニヒルな印象さえ感じさせる言葉ですが、使い方によっては絶妙なニュアンスの変化を楽しめる言葉でもあります。ここからは実際に「諸行無常」を日常で使うときの文例を見ていきましょう。

「諸行無常」の使い方は?


「諸行無常」の使い方①変化に対する嘆きとして使う

嘆き

「諸行無常」の使い方その1は「変化に対する嘆きとして使う」というものです。一般的にはこれが最もポピュラーと言える使い方で、心、感情、生命、景色、状況など、この世のありとあらゆるものが変わって行ってしまう、どうにもならない寂しさを表現するときなどに使います。以下例文です。

    【例文】変化に対する嘆きとして使う「諸行無常」

  • 空の色は一瞬で変わってしまう。人の心もそれと同じ、諸行無常だよ。
  • あんなに売り上げがあったのに、今では見る影もない。これが諸行無常というものか。
  • この世のすべては諸行無常、さよならだけが人生だ。

「諸行無常」の使い方②自分自身への戒めとして使う

戒め

「諸行無常」の使い方その2は「自分自身への戒めとして使う」というものです。今がどれほど素晴らしい状況であっても、それに甘んじることなく気を引き締めるため「諸行無常の響あり」と、自分に言い聞かせる言葉として使います。以下例文です。

    【例文】自分自身への戒めとして使う「諸行無常」

  • この世は諸行無常、よい状況がずっと続くと思わないようにしよう。
  • いつ何がどうなってもいいように、諸行無常の視点を忘れずに生きよう。

「諸行無常」の使い方③他者への忠告として使う

忠告

「諸行無常」の使い方その3は「他者への忠告として使う」というものです。これはたとえば、売り上げが上がった、恋人ができたなど、何かよいことがあって舞い上がっている人に対して注意を促すときに使います。ただし、相手との関係性によっては嫌みな印象にもなりかねないので、少しだけ注意が必要です。以下例文です。

    【例文】他者への忠告として使う「諸行無常」

  • この世界は諸行無常、お金や人の流れもまた然りですよ。
  • IT業界は諸行無常だ。明日にはどうなっているか分からないぞ。
  • 「愛してる」なんて今はそうかもしれないけれど、諸行無常って言葉を忘れない方がいいわよ。

「諸行無常」の使い方④前向きになる術として使う

苦しみの軽減

「諸行無常」の使い方その4は「前向きになる術として使う」というものです。「諸行無常」はほとんどの場合、悲哀を含んだ、どちらかというと物寂しげなイメージで使われることが多いのですが、実はそれとは逆の使い方をすることもできます。

そもそも「諸行」という言葉には、この世の全ての物事つまり良いことだけでなく悪いことも含まれています。それを考えると、良いことだけでなく悪いこともそう長くは続かない、ということが言えます。このことから「諸行無常」は自分や他者を慰め、希望を与えてくれる言葉として使うこともできます。以下例文です。

    【例文】前向きになる術として使う「諸行無常」

  • 今は辛いけれど、この世はいつでも諸行無常、そのうちきっと良くなるはずだ。
  • 諸行無常の世の中で、先のことを心配しても仕方がない。今を精一杯生きよう。

「諸行無常」の使い方⑤感動の表現として使う

花のように移ろいゆく美しさ

「諸行無常」の使い方その5は「感動の表現として使う」というものです。日本には「もののあはれ」という言葉があるように、変わりゆく無常観のあるものを「美しい」と感じる文化があります。こういった背景のもと、「諸行無常」という言葉も褒め言葉のようなニュアンスで使うことができます。以下例文です。

    【例文】感動の表現として使う「諸行無常」

  • 短い花の命には、諸行無常の美しさがある。
  • 西の空の色が変わって行く様子が綺麗ですね。諸行無常の世界です。

「諸行無常」の使い方・番外編|悲しいなぁ(諸行無常)

悲しいなぁ

「諸行無常」の使い方の最後は、番外編として「悲しいなぁ(諸行無常)」というフレーズをご紹介します。これは、人気セクシー男優・KBTIT氏の名語録の一つなのですが、本来は「悲しいぁ」ではなく「嬉しいなぁ」が正解です。彼の滑舌のせいで誤認識されてしまったという、まさに悲しい背景のある言葉なのですね。


使い方はごく簡単です。たとえば「大好きなビールの銘柄が廃盤になってしまった、悲しいなぁ(諸行無常)」といった風に、悲しい出来事などがあったときに使います。「諸行無常」を付け足すことで、より悲壮感がアップしていますよね。

さてここまでは様々な状況で使う「諸行無常」の文例を見てきましたが、仏教にまつわる言葉なだけあって、どんな使い方でも達観したような雰囲気が漂っていましたよね。また、同じく仏教に起源がある言葉として以下の記事にある「一蓮托生(いちれんたくしょう)」も有名です。こちらもぜひチェックしてみて下さいね。

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「諸行無常」の類語は?

「諸行無常」の類語①万物流転

ヘラクレイトスの思想

「諸行無常」の類語その1は「万物流転(ばんぶつるてん)」です。ということで、ここからは「諸行無常」と似た意味を持つ類語をご紹介していきます。まずはこの「万物流転」という言葉ですが、これには「すべての物は流れる」という意味があります。物事は常に変化しているという概念が「諸行無常」と共通しています。

ちなみにこの「万物流転」を別表記にすると「panta_rhei(パンタ・レイ)」となります。実は元々は海外で生まれた言葉なのですね。そしてこの言葉の生みの親であるのが、有名な古代ギリシャの哲学者ヘラクレイトスです。「万物は流転する」というセリフでおなじみですね。

「諸行無常」の類語②有為転変

有為転変は世の習い

「諸行無常」の類語その2は「有為転変(ういてんぺん)」です。「有為」はすべての物事を意味し、「転変」は移ろい変わることを意味します。つまり、この世のすべては移ろい変わるということであり、表記が違うだけで「諸行無常」とまったく同じ意味の言葉になります。「有為転変は世の習い」といった使い方がなされます。

そしてこの「有為転変」も「諸行無常」と同じく仏教用語の一つであり、「有為」の意味をもう少し詳しく見ると「因縁によって作られた現象・事物」という、非常に深みのある言葉であることが分かります。さらに「いろはにほへと」で始まる伊呂波歌の中で「有為の奥山」というフレーズとして使われている言葉でもあります。

「諸行無常」の類語③盛者必衰

先が見えない

「諸行無常」の類語その3は「盛者必衰(じょうしゃひっすい)」です。「盛者」は勢いが盛んな人間を意味し、「必衰」は必ず衰えるということを意味しています。つまりこの言葉は、どんなに勢い付いている者であってもいずれは必ず衰退して行くものだ、という意味になります。

「諸行無常」が世の中のすべてを対象にしているの対し、「盛者必衰」は盛者という人間にクローズアップしているのですが「事物が変わり行く」という点においては、この二つは共通しています。「この世の中は盛者必衰、今が絶好調でも先のことは分からない」といった形で使われます。

またこの「盛者必衰」は「諸行無常」と同じく「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」で始まる平家物語の中に登場します。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」と続きます。

「諸行無常」の類語④世の中は三日見ぬ間の桜かな

楽しい時間もあっという間

「諸行無常」の類語その4は「世の中は三日見ぬ間の桜かな」です。直訳すると「世の中は三日も見ないうちに儚く散ってしまう桜のようなものだ」ということになり、これは世の中の移り変わりを桜の花にたとえて表現した言葉です。

このように、日本では昔から桜の花を「世の中の流れ、人の命、心」といったものに重ねることがよくありますが、この「世の中は三日見ぬ間の桜かな」は、元々は江戸時代中期に活躍した俳人・大島蓼太が詠んだ句の一つです。より身近で自然な表現なので、仏教用語である他の類語に比べどこか柔らかで風流な趣が感じられます。

「諸行無常」は美しくも面白い言葉

移ろいゆく星たち

さて今回は「諸行無常」という言葉の意味、類語、そして様々なシチュエーションでの使い方などをご紹介してきました。「諸行無常」は物事が変わってしまうことへの嘆きを含んだどこか感傷的な言葉ですが、それと同時に、変化することの美しさをも感じさせます。

さらに「すべては変化して行く」とは言うものの、実は「諸行無常」という概念自体は変わらずに存在し続けているというのがこの言葉の面白いところです。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり」というフレーズは平家の没落を表したものですが、座右の銘や救いの言葉として、ぜひ色々なシーンで活用してみて下さいね。


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