「泣いて馬謖を斬る」の意味は?使い方は?三国志の歴史や背景も

泣いて馬謖を斬るという言葉や、泣いて馬謖を斬れよという言葉を聞いて、どんな意味だろうと思ったことはありませんか。これは三国志に出てくる有名な言葉なのですが、馬謖(ばしょく)とは何なのか、斬れよの意味、切るとの違い、使い方も併せて紹介いたします。

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「泣いて馬謖を斬る」の意味は?

馬謖(ばしょく)とは三国志に登場する武将のこと

男性

馬謖とは「ばしょく」と読み、三国志に登場する武将の名前です。馬謖(ばしょく)は三国の中でも蜀の劉備(りゅうび)に仕えた武将であり、劉備の没後も引き続き諸葛孔明の元で仕えていましたが、失態を犯したため、処刑されその生涯を閉じました。

馬謖は有能だった

馬謖は、並外れた才能に恵まれた人物で、経書、三史、孫子、呉子、六韜などの兵書に精通していたため、軍略を論ずることにも長けており、軍司である諸葛亮孔明との対話でも、問いに対して即答できたほどの人物だと伝わっています。

「泣いて馬謖を斬る」とは規律を守るために私情を挟まず断罪するという意味

ルールを守る

「泣いて馬謖を斬る」とは、全体の規律を守るためには、たとえ親しい人だとしても私情を挟まずに断罪するという意味です。諸葛孔明が気に入って重要な仕事を与えていた馬謖(ばしょく)が失態を犯したため、泣きながらでも処罰し処刑せざるを得なかったという故事成語です。

「泣いて馬謖を斬る」には、失態を犯した人に事情があった場合にそれを考慮して処罰を軽くするような情状酌量はしないで、処罰するという意味も含まれています。

三国志の正史と演義で涙を流す理由が違う

三国志の正史では、諸葛亮孔明が親しい馬謖を斬らざるを得ないことに対して泣いたと伝えられていますが、三国志演義では泣いた理由が微妙に違います。劉備に馬謖を重用してはならないと言われていたにも関わらず、重用してしまった自分のふがいなさに対して涙したと三国志演義の中では描写されています。

「泣いて馬謖を斬れよ」とはアニメ「日常」の中でもじって使われた台詞

テレビアニメ

「泣いて馬食を斬れよ」という言葉は、NHKで放送されたアニメ「日常」の中のキャラクター「みお」が言った台詞です。「泣いて馬謖を斬る」を検索すると、「泣いて馬食を斬れよ」という言葉も出てくることがありますが、もじって使われただけの台詞なので、「泣いて馬謖を斬る」との意味の違いはありません。

「泣いて馬謖を斬る」を使う場合には「斬れよ」ではなく、「泣いて馬謖を斬る」と言い切るのが言葉としては一般的には適切ですが、「泣いて馬食を斬れよ」のように、「斬る」を動詞として変化形で使うことも多くなっています。


気になった人はアニメ「日常」20話を見よう

「泣いて馬謖を斬れよ」というセリフは、アニメ「日常」の第20話の中の「日常の86」という話に収録されています。どんなシーンで使われたのか気になる人は、アニメを見てみると良いでしょう。

「泣いて馬謖を斬る」では「切る」ではなく「斬る」が正しい

ナイフ

「泣いて馬謖を斬る」の「斬る」を「切る」で書くのは誤りです。「切る」は続いているものを離すという意味で、紙を切る、期限を切るなどの意味で使われます。「泣いて馬謖を斬る」場合は、斬首という意味なので刃で殺す意味の「斬る」が正しいのです。

一般的に、「切る」は「斬る」や「伐る」の字の代わりとしても使えるので、「首を切る」と書いても国語表現としては誤りではありませんが、故事成語としての「泣いて馬謖を斬る」では「斬る」が正しい表現なのを覚えておきましょう。

「斬る」と「切る」の違い

切る (常用漢字) 刃物などを使って分離させる。断ち分ける。
斬る (常用漢字) 刃物で傷つけ殺す。斬り殺す。

「泣いて馬謖を斬る」の他にも、日本や中国を問わず、世界には過去の事件や偉人の言った台詞からことわざができた故事成語がたくさんあります。「賽は投げられた」も有名な故事成語ですが、由来などが気になった方はこちらの記事もご覧ください。

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「泣いて馬謖を斬る」の使い方とは?

辛くても事務的に処分を下す時に「泣いて馬謖を斬る」を使おう

罰

「泣いて馬謖を斬る」を使うのにふさわしいシーンは、辛くても事務的に処分を下したときです。誰か親しい人や、情状酌量の余地があるような人の失態でも、規則によって処分されないといけないような時です。

例えば、恋人や家族で一緒に仕事をしていて、損失を出したから処分を下さないといけない例や、新入社員の頃から面倒をみてきた部下を降格やリストラしないといけないときなどに使われます。


    泣いて馬謖を斬るような間柄の例

  • 親、子供などの家族と経営者
  • 恋人同士
  • 面倒をよく見て可愛がっていた部下と上司
  • スポーツチームの監督とメンバー
立場が上の人が下す決断として使う場面が多い

「泣いて馬謖を斬る」は、誰かが誰かを処分する時に使う言葉なので、上の立場の人が下の立場の人を処分する際に使うことが多いです。逆に言えば、上役の不正を処罰するような場合には立場が逆なので、「泣いて馬謖を斬る」とは言いません。

使い方の例①泣いて馬謖を斬る決断だね

苦渋の決断

使い方の例の1つ目は、「泣いて馬謖を斬る決断だね」です。自分以外の誰かが、その誰かにとって親しい相手に処罰を下したり、解雇したりした時に、処罰を下した人に言います。

処罰を下した本人に直接言うのではなく、噂話で処罰の話を聞いた時に使う場合もあります。ポイントは、自分が下した処分ではなく、他人の下した処分を評して言うセリフだというところですね。

使い方の例②泣いて馬謖を斬るような事態になる

困っている女性

使い方の例の2つ目は、「泣いて馬謖を斬るような事態になる」です。「家族経営では泣いて馬謖を斬るような事態になりかねないから避けたいんだ」など、まだ起こっていないことに対して言ったり、処分を下さねばならない状況になった時に使います。

実際に厳しい処分を下していなくても、親しい相手に対して処罰を下さないといけない場面につきあたりそうな時や、実際に処罰しないといけなくて処罰の内容を悩んでいる時にも使えます。

使い方の例③彼女をクビにするなんて泣いて馬謖を斬ったんだね

恋人

使い方の例の3つ目は、「彼女をクビにするなんて泣いて馬謖を斬ったんだね」です。彼女が恋人あるいは親しい人であったのに、クビにしたという事実を後で聞いた時に感想として告げて使った場面です。


既に下された処罰に対して「泣いて馬謖を斬る」を使う場合には、このように最後の「斬る」の部分を「斬った」と過去形にして使うのがふさわしいですね。「泣いて馬謖を斬る」は定型文ですが、「斬る」は動詞なので、このように変化させて使うことができます。

使い方の例④いっそのこと泣いて馬謖を斬れよ!

呆れている

使い方の例の4つ目は、アニメ「日常」でも使われたような使い方の「いっそのこと泣いて馬謖を斬れよ!」です。私情を無視して処罰を下すべきシーンで、処罰方法を決める人が悩んでいる時に使いましょう。

立場に差がある場合や、重い処罰を下す時に使われがちですが、「泣いて馬謖を斬れよ」と使う場合には、友達同士の軽口で使っても良いでしょう。約束を破った友達を誰かが許そうとしているところに対して、軽めに言うのがおすすめです。

「泣いて馬謖を斬る」の三国志の背景とは?

三国志において馬謖は劉備に仕えていたが信頼されていなかった

信用しない

馬謖(ばしょく)はもともと三国の中でも蜀の劉備に仕えていましたが、劉備自身は馬謖を「口先だけの男」と評してあまり信頼していませんでした。そのため、劉備の存命中は、今でいう県知事にあたる県令に任命されていたものの、あまり大きな役職にも就かせずにいました。

更に、劉備が病に伏せり亡くなる時には、軍司である諸葛亮孔明に対して、馬謖に重要な仕事をさせてはならないという遺言まで遺しています。臨終の場面で遺言を遺すほどに、劉備は馬謖を信頼していなかったのです。

劉備が存命の際に馬謖は失態を犯していない

馬謖を信頼していなかった馬謖ですが、劉備の存命中に馬謖が何か失態を犯したという史実は残されていません。口先だけの男と評していますが、特に職務で失敗もしていないのに、劉備は馬謖を嫌っていたんですね。

三国志で劉備の没後に孔明は馬謖を重用した

重用する

劉備の没後、遺言で重要な仕事を任せてはいけないと言われていたにも関わらず、諸葛亮孔明は馬謖を自身の補佐官として取り立てて、重用しました。昼夜、軍略について語り、親しく交流していたのです。

馬謖がした進言を採用した結果、豪族が起こした謀反を見事解決したこともあり蜀の安定に貢献し、結果として以前に増して諸葛亮孔明の信頼を厚くしました。

馬謖が失態を犯したため規律を守るために馬謖は処罰されざるを得なかった

綻び

三国志の中で諸葛亮孔明は馬謖がとりかえしのつかない失態を犯したため、全体の規律を守るために処罰せざるを得ませんでした。第一次北伐と呼ばれる戦いにおいて、諸葛亮孔明は馬謖に対して街の守備を命じましたが、馬謖は命令違反をして別の場所で戦ったため、蜀の軍は惨敗してしまいました。

この結果、諸葛亮孔明は昼夜問わず議論を交わすほど親しくしていた馬謖を斬首刑にして処罰せざるを得ず、泣いて馬謖を斬ったと三国志の正史では伝えられています。

馬謖は処罰されても孔明を恨まなかった

諸葛亮孔明は、馬謖の命令違反による敗北を斬首という形で処罰しましたが、馬謖は諸葛亮孔明に対して「生前の交友を大事にしてくれるならあたなを恨みません」という手紙の残しています。幼い頃から目をかけてくれた諸葛亮孔明に対する親愛の気持ちであると共に、馬謖の家族は処罰してくれるなという意味です。結果として、馬謖の子は以前と変わらず蜀に仕えていました。

馬謖への処罰は批判されていた

手紙

三国志の中で諸葛亮孔明が馬謖を斬首刑に処したことは、実はやりすぎたと批判されています。習鑿歯(しゅうさくし)は、馬謖が兵法に精通した有能な人物であったことを理由に斬首に処して失った損失の大きさを批判したのです。

習鑿歯は批判する際に、馬謖の使いどころを誤ったのは諸葛亮孔明であることや、過去に他の武将も失態を犯しても登用し続けたことなどを挙げて、諸葛亮孔明を批判したと伝えられています。それほど失うには惜しい人材だったことが伺われます。

「泣いて馬謖を斬る」の使いどころを考えよう

「泣いて馬謖を斬る」は、親しい人を斬首しなければならないような重い処罰を苦渋を飲んで下した場合に使う言葉です。あまり使いどころがないと思われがちな故事成語ですが、すっと出てくると言葉の表現に幅が広がります。

ただし、間違ったシーンで使うと笑われてしまいますので、使いどころをよく考えて、自分の語彙の一つとして覚えておけるといいですね。


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