「禅」って何?禅の意味・教えとは|思想・言葉から学ぶ生き方も

ヨガなどの流行から注目されるようになった「禅」。どのようなイメージがありますか?仏教の修行や教えを学ぶためのものと言うイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。「禅」について意味や教え、思想・言葉から学ぶ生き方や心のあり方を紹介します。

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禅とは|意味・教えは?

禅の意味│言葉の由来

言葉の意味

「禅」は、インドで古くから、存在する言葉であるサンスクリット語の「ディヤーナ」を、中国語に音写した「禅那(ぜんな)」の略だと言われています。「禅」と言う言葉は、精神の統一や瞑想などの集中している状態を表している言葉です。禅をすることで、自身の心を見つめることが出来るとも言われています。

禅の教え│「不立文字(ふりゅうもんじ)」という思想

幻想的な風景

禅の教えには、達磨大師が説いた「四聖句」と言うものがあります。その中に「不立文字(ふりゅうもんじ)」と言う思想があります。「不立文字」とは、「釈迦の教えは、自ら修行を経て体得することが最も大切である」と言う思想です。言葉や文字で伝えられるものだけでなく、実際に修行を体で体験する大切さを説いています。

「言葉や文字の上には、真実の仏法がない為、解釈によって意味が変わってしまう」という言語の欠点・欠陥に対する注意の思想とも言われます。言葉や文字だけでは、思想や教えを伝えようとしても、その時の指導者の解釈次第でいくらでも、思想・教えが変化してしまうため、体を使い伝えることが大切です。

そのため禅は、ただの言葉や文字として教えを伝えるのではなく、実際に体を使って教えを伝える「体験」と言うものをとても大切にしています。実際に自分が体験した物事は、人から見聞きしたものとは違う感想や印象を持つことが出来ます。百聞は一見にしかずとも言いますが、実際に見聞きしたことの大切さにも気付けます。

禅の教え│「心を見つめ悟りを開く」という思想

自分を見つめる

「不立文字(ふりゅうもんじ)」など「四聖句」の教えを経て、人は「心を見つめて悟りを開く」と言われています。悟りを開くというのは、自身の心の中の仏心に気付くことで、物事に対する異常な執着などから自身の身も心も離れることを言います。心の中の迷いが解けて、真理を会得した状態のことでもあります。

人は生きていく中で、必要以上に考え込んでしまったり、悪い考え方を吸収してしまっていることがあります。悪い考え方や余分な考えは、人の感性を鈍らせることにも繋がります。自身を見つめて一度心の中を空にすることで、新たな価値観を得たり、大切な何かに気づくことが出来るようになるかもしれません。


真理とは、普遍的に正しいことをそう呼びます。禅はその思想・真理から、私たちに人生の生き方を学ぶ機会を与えてくれます。「心を見つめ悟りを開く」ことは、そのために大切な1つであると言えます。自身を見つめなおすことも、人生には重要なことなのかもしれません。

禅とは|歴史は?

禅とは│始まりは仏教僧の修行

修行

禅の始まりは、一人の仏教僧だと言われています。その仏教僧は南天竺の王子として生まれ、般若多羅の法を経て「達磨大師(だるまだいし)」と呼ばれるに至ったお釈迦様の28番目の弟子だといわれる人です。お釈迦様の教えを世の中に広めるためにさまざまな行動を起こした人物だとも言われています。

禅は「達磨大師」が中国に渡って、坐禅を基本的な修行形態とします。坐禅自体は、仏教の基本的な実践として古くから行われていましたが、「禅宗」として呼ばれ始めたのは、中国唐代時代の末期頃からだと言われています。その後「禅宗」が宗派として確立された時に、始祖とされたのが「達磨大師」です。

また日本における禅は鎌倉時代から始まったと言われています。鎌倉時代初期に、中国より伝えられた禅は、その後室町時代に入ると幕府の庇護のもと庶民や、侍たちによって「日本仏教」の1つとして世の中に広まっていきました。中国では教義は否定されていましたが、日本では比叡山の影響が大きく教義を展開していきました。

禅とは│禅の修行に大切なこと

自身を解放する

修行と言うと「つらい」「厳しい」「続かない」と言う悪いイメージを持ってしまう方も多いのではないでしょうか。確かに、自身の心の弱い部分を見つめなければならないと言うことは、つらく厳しいことかもしれません。しかし、それによって自身に何か良い変化が現れるとしたら、修行にも良いイメージを持つことが出来ます。

禅の修行に大切なことは「何かの目的の為に禅を行うのではなく、禅のために禅を行う」と言う意識だと言われます。禅を行うことでリラクゼーションを求めたり、自身の進歩を求めたりしてしまうと、その心の有様が外面に現れてきてしまいます。禅は、自身の心をまっさらにして見つめ直すための1つのきっかけと思いましょう。

言葉から学ぶ生き方!禅語10選


言葉から学ぶ生き方①挨拶(あいさつ)

挨拶は大切

言葉から学ぶ生き方1つ目は「挨拶」です。自分の気持ちを言葉で表し、相手に伝える手段として使われるのが「挨拶」です。挨拶は「近づく」「触れる」と言う意味を持つ「挨」と「せまり、切り込む」と言う意味を持つ「拶」と言う言葉から作られた言葉で、もともとは仏教から発生した仏教用語の1つでした。

普段の生活で挨拶を行うときにも、相手の状況や状態をなんとなくですが、察することがあることと思います。言葉を交わすことで、言葉以外に込められた気持ちや状態に気づくことが、相手と自身の関係にとって大切なことの1つであると言われています。言葉を交し合うだけでなく気持ちを交し合うために挨拶は行われています。

言葉から学ぶ生き方②喝(かつ)

喝を入れる

言葉から学ぶ生き方2つ目は「喝」です。禅の世界にはたった一言で相手を心理に導く・気付かせる・悟らせることが出来る言葉があります。そういった言葉は「一字関(いちじかん)」と呼ばれ、相手の中にある迷いを吹き飛ばし、目の前を明るく照らしてくれると言われています。その言葉の1つが「喝(かつ)」です。

「喝」と言う一字関には「相手を大声で叱ることで、見えなくなっていた物事に気付かせる言葉」と言う意味があります。ただただ頭の中で考えているだけだと、思想や考えは凝り固まってしまい、ひとつの面からしか物事を見ることが出来なくなってしまいます。「喝」は目の前をしっかり見つめる大切さを教えてくれています。

言葉から学ぶ生き方③慈愛(じあい)

慈しみ愛しあう

言葉から学ぶ生き方3つ目は「慈愛」です。人は、他人に好意を抱いた時に、相手にも同様に自身に好意を抱くことを望みます。そうして、相手が自身に好意を抱くようになると、その好意を失うことを恐れ、恋が叶ったあとも不安や不満を抱えてしまうことになります。

その不安や不満は「自身が愛されることを望む心」が関係していて、それが「恋」と呼ばれるものだと言われています。「愛」とは、そのような心や気持ちとは全く別物のことを言います。愛は「相手を愛することを望む心」のことを言います。人を愛し、慈しむことで自身が救われるような幸福感を感じることが「慈愛」なのです。


言葉から学ぶ生き方④知足(ちそく)

幸せとは何か

言葉から学ぶ生き方4つ目は「知足」です。人は常に「幸せであること」を無意識に求めています。人それぞれ、幸せであると感じる瞬間・場面は異なりますが「幸せ」と言うものは、「心の満足感・充実感」から感じるものだと言われています。その心の持ち方によって幸せの感じ方が鈍くなってしまうことがあります。

幸せを貪欲に求めることで、「幸せであること」を心が感じにくくなってきてしまいます。余計な考えや欲を捨てることで、人の心は小さなことでもしっかりと幸せを感じることが出来るのです。幸せの本質をしっかりと「知る」ことで心は「充足」することを覚えます。それが「知足」です。

言葉から学ぶ生き方⑤日々是好日(にちにちこれこうじつ)

日々を過ごす人

言葉から学ぶ生き方5つ目は「日々是好日」です。毎日を過ごす中で、楽しい日や嬉しい日だけでなく、悲しい日や辛い日もあると思います。日々自身が感じる喜怒哀楽の全てが「かけがえのない人生」を作り上げてくれている大切なものであるという禅語・思想です。

言葉から学ぶ生き方⑥法灯明(ほうとうみょう)

助けてもらう

言葉から学ぶ生き方6つ目は「法灯明」です。常に変わることのない「真理」を頼りにするのが「法灯明」という禅語です。本来は「自灯明・法灯明」と言う禅語で、仏陀が無くなる直前「仏陀の死後に何を頼りにすればいいのか」と不安にかられた弟子たちに説いた最後の説法で、自身と真理を信じることの大切さを教えています。

言葉から学ぶ生き方⑦無分別(むぶんべつ)

区別しない関係

言葉から学ぶ生き方7つ目は「無分別」です。「思慮分別の付く大人になりなさい」と言われて育ってきた人も多いことでしょう。しかし禅では「無分別」の大切さが教えられています。物事に対して必要以上に人と比べたり、区別して考えることで自身を確立するのではなく、ありのままの自分を知ることも大切なのです。

言葉から学ぶ生き方⑧油断(ゆだん)

油断は心の隙

言葉から学ぶ生き方8つ目は「油断」です。「器に満タンに注がれた油を一切こぼさずに運ぶこと。こぼしてしまったら、お前の命を断とう」と言われたときのような緊張感を持つことの大切さを教える禅語です。何か物事にたいして傾いた考え方を持っていたり、歪んだ生き方をしてしまうことの怖さを知ることも大切です。

言葉から学ぶ生き方⑨冷暖自知(れいだんじち)

寒さを知る

言葉から学ぶ生き方9つ目は「冷暖自知」です。人は何故冬が寒いこと、夏が暑いことなどを知っているのでしょうか。それは、自分自身が寒さや暑さを経験したからだと言えます。「自分自身が経験したことが、自身の知識になっていく」それが、冷暖自知です。人伝に知る「情報」と体験して知る「知識」はどちらも大切です。

言葉から学ぶ生き方⑩露堂々(ろどうどう)

ひとつをしっかりと見る

言葉から学ぶ生き方最後は「露堂々」です。「露」と言う文字には「あらわになる・あらわれる」と言う意味があります。ついつい狭くなってしまう視野・思考ですが、常に変わらない正しさである「真理」は常に私たちの目の前に堂々とあらわれています。不安な時には、深呼吸をしてしっかりと目の前を見つめてみましょう。

禅を知り、自身の心と向き合ってみましょう!

自分を見つめる人

「禅」は「不立文字」を元に、仏陀の教えを実際の体験から学び、真理を知り悟りへつなげるために行う修行のことです。常に変わることのない正しさである「真理」を知るということは、自身を見つめなおすきっかけとなり、それが悟りへと繋がっていくのだそうです。自身の心と向き合うことで、心の安定を目指したいですね。

心の持ち方で、幸せの感じ方も違ってくるのだそうです。自身のことで一杯になってしまっている心よりも、余裕を持つことができれば、人を慈しむ心も生まれてくるのかもしれません。人に対して優しい人を表す言葉として「懐が広い」と言います。正しい意味や使い方を下記の記事で紹介しています。ご覧ください。

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「懐が広い」とか「懐が深い」といった表現を聴くことがあるでしょう。でもその意味について考えたことがありますか?さらに「広い」と「深い」ではちょっとした違い...


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