「杞憂」の意味・由来とは?使い方・例文・類語・「杞憂に終わる」も

「杞憂」は、心配性の男の取り越し苦労から生まれた故事成語です。ありえないことや「考えすぎ」というようなことを心配することを指し、そういう人に「大丈夫だよ」と教える使い方をします。必要ないの心配は、まず杞憂に終わるものですね。ここでは「杞憂」の意味や由来を、例文、類語などを用いて、ご紹介します。

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「杞憂」の意味・由来とは?

「杞憂」の意味は取り越し苦労

心配

「杞憂」は、「無駄な心配をすること」「取り越し苦労」という意味でう。心配症の人は何かとよくない方に考え、どんなところからでも、心配の種を見つけます。多くは、ありえないことや、結局無駄な心配に終わるものです。心配事の多くは「心配して損した」ということになり、思い悩んだり苦しむだけ損です。

「杞憂」の由来とは中国の故事成語から

杞憂

「杞憂」の由来は、中国の故事成語です。中国の周時代に、「杞」という国があったころ、杞にはたいそう心配症の男がいました。彼は天が落ちてきたらどうしようと思い悩み、ご飯ものどを通らず、夜も眠れなくなりました。彼を心配する友人は言いました。「天は空気の集まりだよ。空気が崩れたり落ちてくるはずがないよ」

心配性の彼は、今度は太陽や月や星が落ちてこないか、地面が崩れたらどうしよう?と心配し始めました。友人は、太陽や月や星は空気の集まった空で光っているにすぎない。落下してもぶつかって怪我をすることはありえない。地面は土が積み重なって広がり、人は毎日土の上で生活している。崩れることはありえないといいます。

心配性の男は、それを聞いてようやく安心し、通常の生活にもどります。彼を心配していた友人も、ようやく安心しました。そのエピソードが故事成語となりました。

「杞憂」の使い方

「杞憂」の使い方は取り越し苦労する人を安心させるために使う

取り越し苦労する

「杞憂」の使い方は、心配性で取り越し苦労する人を、安心させるために使います。夫の浮気の心配や、近くへ出張するだけなのに無事に帰れるか、美容院でパーマをかけたら変な頭にならないか?とにかく心配ばかりしています。そんな人は、とんでもない妄想をし、周囲をあきれさせたりしますが、性格がまじめなので真剣です。

その人の心配の多くは取り越し苦労なので、「杞憂」だといって安心させます。日本人は心配性が多く、杞憂はよく使われる故事成語でもあります。取り越し苦労する人に振り回されるほうはたまりませんが、他人から無用な心配といわれることで、案外落ち着きます。


「杞憂に終わる」ことを伝える会話の作法

伝える

心配するほうは、「あなたの心配は杞憂に終わる」と誰かに言ってほしいものです。人に聞いてもらって安心したい思いがあって、「どうしよう?」と言ってみるのです。女同士の会話に多いパターンですが、男同士でも珍しくありません。心配を打ち明けられたら、杞憂でないかもしれなくとも、否定するのは利き手の義務ですね。

「杞憂」の例文は?

「杞憂」の例文①若い女と浮気するって女房の杞憂だよ・俺モテないのに

杞憂

「杞憂」の例文、典型的な使い方に、浮気を疑うものがあります。女性も若さに陰りが出てくると、若い女性を見て嬉しそうにしている夫に不安になります。確かに若いと綺麗だし、見ていて楽しいですが、自分の弱点も味付けの好みもよく知っている妻の価値は低くはありません。もっと自信をもっていいのに!と周囲は思います。

ともあれ、不安になるのは感受性が強いゆえのこととも言えます。例文からそれを感じてくださると幸いです。杞憂の人に捕まった時のために、言葉の使い方はこちらの記事も参考にごらんください。

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「杞憂」の例文②女の子と間違いを起こさないかと杞憂に終わればいいけど

母

2つ目の例文は、母心です。お母さんは取り越し苦労のデパートみたいな存在で、いつも心配していますね。男の子を持つ母親には、女の子の場合とは違う心配があります。その大きなものは女性関係のことです。杞憂ではないこともありますが、お母さんが心配し、目を光らせている息子さんに限って、杞憂であることが殆どです。

「杞憂」の例文③枯葉が全部散ったら自分も死ぬって杞憂に終わった物語だね


病気

例文の三つ目は、有名な物語に見る杞憂です。病気の少女が、窓の外で散る枯葉に、自分の運命を重ねる話です。最後の枯葉が散ったら死ぬという少女の心配は杞憂に終わります。でもそれは彼女が生きることを願うある老人の優しさゆえです。彼女のような絶望した人に、言葉で杞憂だといっても冷たいと思われます。

優しく杞憂であることを教えてあげるためには、最新の注意が必要です。こちらの記事は参考になりますので、あわせてごらんください。

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「杞憂」の例文④あの国に乗っ取られる心配が杞憂に終わればいいが

戦争

四つ目の例文は、ひそかにそう思っている人が多いかもしれませんね。日本ほど治安が良くて福祉の手厚い国も、またとありません。この恵まれた国からいろんなノウハウを得たい国は多いでしょう。ただし国土が狭くて、多くを輸入に頼っている、買わなければ食べられない国土自体を欲しがるというのは杞憂でしょう。

「杞憂」の例文⑤不良だったから将来を心配していたが杞憂だった

会社

五つ目の例文は、杞憂に終わってよかった例です。少年時代にぐれていた生徒が、社会的に成功して立派になったのを見て、さんざん心配させられた担任の先生は涙を流して喜びます。こんなに立派になるとは想像もしていなかった、警察のお世話になっていないかと心配したけれどすべて杞憂に終わったと、感動する使い方です。

「杞憂」の類語・英語表現は?

「杞憂」の類語①「疑心暗鬼」

疑心暗鬼

「杞憂」の類語一つ目は「疑心暗鬼」です。これは道家(道教)の教えを書いた『列子』にある故事成語です。斧をなくした男がいました。誰かが盗んだのではないかと疑います。すると隣人の言動がすべて怪しくみえます。ところがひょんなことから失くしたふと気見つかると、隣人の言動はちっとも怪しく見えません。

疑う心や先入観が、状況をゆがめて見てしまうことを「疑心暗鬼」と呼ぶようになりました。その類語ですが、たしかに怪しいと思えば、なんでも怪しく見えます。その疑いが罪のない人の人生を狂わせることにもなりかになってちょうどいいでしょう。故事成語に学びたいですね。

「杞憂」の類語②「草木皆兵」

こわい

「杞憂」の類語二つ目は「草木皆兵」です。疑心暗鬼の類語で、おびえていると草木の敵の姿に見えるという意味の故事成語です。現代も中国では「疑心暗鬼」より有名で頻繁に使われます。疑いも恐怖も、フェアな視点を曇らせてしまうということです。先入観があると、真実が歪んで伝わります。

「杞憂」の英語表現は?needlessfear

needlessfear

「杞憂」の英語表現は?「needless fear」です。日本語で直訳すると「必要のない恐れ」となります。すなわち「杞憂」です。日本語訳した文献では、「needless fear」を「杞憂」と訳しています。洋の東西を問わず、疑心暗鬼の類語があり、要らない心配をする人がたくさんいるということでしょう。

ちなみに類語多しといえども、欧米など横文字圏では、「必要ない恐れ」「必要ない心配」というダイレクトな言葉しかありません。漢字圏ではそういった言葉の背景を短い字の組み合わせで見事に表現してしまいます。みごとな使い方です。

「杞憂人間」へのおすすめ本

「杞憂人間」へのおすすめ本①『成功する人は心配性』菅原道仁

成功する人は心配性

「杞憂人間」へのおすすめ本1点目は菅原道仁の『成功する人は心配性』です。細かいことに気が付く人には運が付きます。松下幸之助や、現代も幻冬舎社長の見城徹など、小さなことによく気が付き、大変な心配性であるエピソードが伝えられています。その細やかな神経が人の心を深くくみとる能力の高さになっています。

会ったとき、感動するようなエピソードが残ることが創業社長に多いのも、神経の細やかさと想像力のなせる業、これすなわち「杞憂人間」です。この本は心配性をなおすよりも、自信を持って、心配性をうまく使うためにおすすめの1冊です。

「杞憂人間」へのおすすめ本②『理由のない不安を一瞬で消す方法』

不安を一瞬で消す

「杞憂人間」へのおすすめ本2点目は主婦の友社から出版されている『理由のない不安を一瞬で消す方法』です。心配性の杞憂人間は、いろんな小さなことに気づきますから、苦しくなってしまいます。そんな心に風を入れ、少し視点を変えることで楽にしてくれる本です。同じことでも見方によって全く違ってきますよ。

例えば自分は愚図で決断力がないと思えば、いろんなことが不安になりますが、その性格ゆえに思慮深くて失敗がないと思えば、自信になります。それが視点を変えるということで、多くは杞憂に終わる。そんな心の使い方ができます。

「杞憂人間」へのおすすめ本③『心配事の9割は起こらない』

大丈夫

「杞憂人間」へのおすすめ本3点目は三笠書房出版の『心配事の9割は起こらない: 減らす、手放す、忘れる「禅の教え」』 です。自らを無にする善の教えによって、大事に抱え込んでしまっている心配事を、いったん離してみることが書いてあります。捨てさるのではなく、一瞬離してみると杞憂に終わることです。

そこから忘れることはそう難しくないと、本は教えてくれます。仏教的ぬくもりが、心配性を楽にしてくれるといえます。そこは主観と好みの問題でしょうが、禅の無の境地は、心配でがんじがらめになっている心の喚起に役立ちます。自分を無にしてみると、何事も杞憂に終わるようになり、心の浄化になりますね。

「杞憂人間」は実は危機管理能力が高い

能力

「杞憂」について考察してみました。いかがでしたか。杞憂は基本的に無駄な心配です。本人も無駄に苦しみ、そばにいる人も振り回されます。ただそれが悪いことばかりではない一面があるのが確かです。小さなネジの具合が気になって夜も眠れない技術者を、皆は心配性だと言って笑いますが、そのことが会社を救ったりします。

杞憂人間の取り越し苦労の習性が、思いがけず大きなトラブルを防ぐことはあるのです。子供の様子がおかしいと言って参観日でもないのに学校訪問する母親は、多くの場合杞憂に終わるので、教師にも嫌われますが、いじめ自殺を未然に防いだことも実際にあるのです。心配事に関して過敏な人も、世の中には必要で役に立ちます。

特に多くの人への影響力のある人は、「ありえないことを心配する」くらいでなくてはなりません。深くものを考えない人によって、傷つく人が多い「パワハラ」や「誤報」のトラブルを見るたびに、そんなことを思います。心配性のあなたの危険察知能力と繊細な感受性を祝福してください。


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