「情けは人の為ならず」の意味や語源とは?ことわざ/座右の銘
情けは人の為ならずということわざの意味を知っていますか。よく耳にすることわざですが、誤った解釈で誤用してしまっている方も多くいます。そこでここでは「情けは人の為ならず」のことわざの意味、類語、対義語、情けや親切に関する名言などを紹介しています。
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目次
情けは人の為ならずの意味とは?
人に情けをかければ巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味
情けは人の為ならずは、人に情けをかければ(親切にすれば)巡り巡って自分に良い報いが返ってくるという意味になります。「人に情けを掛けてやることは、その人のためにならない」といった意味で捉えられている方も多くいますが、これは誤りです。
文部省の世論調査(平成22年度)では60歳以上を除く全ての年代の半数以上が、誤った意味でとらえているという結果が出ています。詳しくは下記文部省公式サイトで紹介されています。
また人に情けをかける事は自分の心の慰めにもなるので、相手の為だけではなく自分の心を豊かにするという捉え方もあります。どちらも「情けをかける事は決して人の為だけではない、自分の為に人には親切にするように」と説いていることわざだという事が分かります。
文部省情けは人の為ならずを誤用しやすい理由
情けは人の為ならずが誤用されやすい理由は、「ためならず」を「ためにならない」という意味で解釈して誤用してしまう事が多いようです。この「ためならず」は断定の「ため」と打消しの「ず」からできていて、「人のためにならない」ではなく「人のためではない。自分のためだ」という意味をもちます。
情けをかけすぎてしまうと確かにその人の成長の妨げになってしまい、相手のためにならない場合もあります。ただ「情けは人の為ならず」に関しては人に対して情けをかける事が出来る人間である事が、自分の幸福にもつながるという意味なので誤用しないように注意しましょう。
下記動画は「mextchannel」さんが紹介されている「ことば食堂へようこそ!第19話・情けは人のためならず」です。「情けは人のためならず」の理解の違いによって食い違いが生じる場面などを詳しく紹介されているので、ぜひ参考にして下さい。
情けは人の為ならずの誤用例
情けは人の為ならずを誤った解釈をして誤用してしまうと、本来の意味とは大きくかけ離れてしまいます。例えば「情けはいらない。情けは人の為ならずって言うからね」と誤用して伝えたとします。
これでは「情けはいらない。人に情けをかければ巡り巡っていつか情けをかけたひとにも良い報いがあるって言うからね」といった意味になり、とても失礼な言い回しになってしまいます。
情けは人の為ならずの続きは「めぐりめぐって己がため」
情けは人の為ならずには「めぐりめぐって己がため」という続きがあり全文は、「情けは人の為ならず、めぐりめぐって己がため」になります。
「巡り巡って己(自分)のためになる」と続きますので全文を見ればより、人に情けをかける事は相手の為にならないという意味ではなくは巡り巡って自分のためになるという意味だということが分かります。
人に情けをかける事が出来る人望の厚い人になりたいという場合は、下記の記事も参考にして下さい。人望の厚い人の特徴を紹介しています。
情けは人の為ならずの語源とは?
情けは人の為ならずの語源①「源氏物語」葵上
情けは人の為ならずの語源1つ目は、「源氏物語」葵上の一文「世の中の情けは人の為ならず、我人の為辛ければ、必ず身にも報ふなり」から来ているという説があります。この「我人の為辛ければ、必ず身にも報ふなり」は、相手の為に苦労をすれば、必ず自分にも報いがあると捉える事が出来ます。
「報い」という言葉は「悪い事をした報い」といったような悪い意味で使う事が多くなりますが、行為に対する結果を意味しているので良いことに関しては良い報いが訪れると解釈出来ます。
能楽作品「葵上(あおいのうえ)」に 「世の中の情けは人の為ならず、我人の為辛ければ、必ず身にも報ふなり」 「世のため、人のため情けをかけておけば、また人の為苦労すれば、必ず自分に報われてくるものである。」 とありますように、世のため人のため取り組んでいくことは、昔から大事にされてきた教えです。
引用元: 心のものさし
情けは人の為ならずの語源②新渡戸稲造博士の自作の唄
情けは人の為ならずの語源2つ目は、新渡戸稲造博士の自作の唄「施せし情は人の為ならず、おのがこゝろの慰めと知れ、我れ人にかけし恵は忘れても人の恩をばながく忘るな」から来ているという説もあります。
「情けは人の為ではなく、自分の心を慰める(心を和やかにする)事につながる。人に親切にしたことは忘れても人から受けた恩はいつまでも忘れてはいけない」といった意味になります。
「情けは人の為ならず」 というのは新渡戸稲造博士の自作の歌に登場した一文です。「施せし 情は人の為ならず おのがこゝろの 慰めと知れ 我れ人に かけし恵は忘れても 人の恩をば ながく忘るな」 人に優しくしなさい。 情けをかけることは人のためだけではありません。 自分の心の慰めにもなります。 自分が人にかけてあげた親切は忘れても構いません。 しかし、人から受けた恩は決して忘れてはいけません。
引用元: おとどけももんが.com
人に情けをかける事が出来るおおらかな人になりたい場合は、下記の記事も参考にして下さい。おおらかな人の特徴や性格を紹介しています。
情けは人の為ならずの類語は?
情けは人の為ならずの類語①人を思うは身を思う
情けは人の為ならずの類語1つ目は、「人を思うは身を思う」です。これも人の為を思えば(人に情けをかければ)、やがて自分に返ってくるといった意味のことわざです。このことわざも「人を憎むは身を憎む」と続きます。
「人を憎むは身を憎む」は人を憎んだり苦しめたりすれば、自分も憎まれたり苦しめられたりするといった意味になります。同じような意味を持つ言葉に「因果応報」という仏教用語があります。
因果応報も良い行いをすればよい報いがもたらされ、悪い行いをすれば悪い報いがもたらされるといった意味で、「人を思うは身を思う、人を憎むは身を憎む」と同じような教えになります。
情けは人の為ならずの類語②積善の家には必ず余慶あり
情けは人の為ならずの類語2つ目は、易経 (周代の占いの書)に書かれている「積善(せきぜん)の家には必ず余慶(よけい)あり」です。「積善の家には必ず余慶あり」は善行(良い行い)を積み重ねてきた家には、必ず子孫にも幸福が訪れるといった意味になります。
他人に対して興味を持てないといった場合は、下記の記事も参考にして下さい。他人に興味を持つ方法や改善方法を紹介しています。
情けは人の為ならずの対義語は?
情けは人の為ならずの対義語①情けも過ぐれば仇となる
情けは人の為ならずの対義語1つ目は、「情けも過ぐれば仇となる」です。「情けも過ぐれば仇となる」は良いと思ってかけた情けでも、度を直ぎてしまうと相手にとっては迷惑になってしまう事もあるといった意味になります。
「仇(あだ)」は仇(かたき)とも読みます。良かれと思ってかけた情けも相手の迷惑になってしまえば、逆に恨みを買ってしまう事もあるという戒めの意味も含まれています。情けをかけるには相手を思いやる気持ちが大切で、押しつけや迷惑にならないよう注意する事も必要という事ですね。
情けは人の為ならずの対義語②情けが仇
情けは人の為ならずの対義語2つ目は、情けが仇です。「情けが仇」は相手に良いと思ってしたことが、返って良くない結果を招くことのたとえです。良かれと思ってしたことも、いつもいい結果につながるとは限りません。悪い結果につながることも往々にあるというたとえになります。
情けや親切に関する名言
情けや親切に関する名言①親切な言葉に費用はかからない
情けや親切に関する名言1つ目は、フランスの哲学者ブレーズ・パスカル(1623年~1662年)の「親切な言葉に費用はかからない。しかし、多くのことを成し遂げる(Kind words do not cost much. Yet they accomplish much.)」です。
親切な言葉一つでとても心が救われる事はたくさんの場面であります。ときに親切な言葉を発するのはとても勇気がいる事もありますが、親切な言葉をかける事に費用はかかりません。
ブレーズ・パスカルの哲学をもっと知りたい場合は、ジャン・ブラン (著)、竹田篤司 (翻訳)の「パスカルの哲学」で紹介されています。
パスカルの哲学
ページ | 147ページ |
出版社 | 白水社 (1994/7/1) |
価格 | 1,027円(Amazon) |
情けや親切に関する名言②人がいるところには必ず親切を施す機会がある
情けや親切に関する名言2つ目は、ローマ帝国の政治家ルキウス・アンナエウス・セネカの「人がいるところには必ず、親切を施す機会がある(Wherever there is a human being, there is an opportunity for kindness.)」です。
親切にする相手は、自分の周りにいる人だけではありません。人がいるところであればどんな人にも親切にする事は出来ます。周囲にちょっと気を配る事で、いくらでも人に親切にする事は出来ます。
ルキウス・アンナエウス・セネカの哲学をもっと知りたい場合は、中野孝次 (著)の「ローマの哲人 セネカの言葉」で紹介されています。
ローマの哲人 セネカの言葉
ページ | 240ページ |
出版社 | 岩波書店 (2003/9/27) |
価格 | 2,160円 |
【番外編】座右の銘にしたいかっこいいことわざは?
座右の銘にしたいかっこいいことわざ①牛の歩みも千里
座右の銘にしたいかっこいいことわざ1つ目は、「牛の歩みも千里」です。「牛の歩みも千里」とは、歩みが遅い牛でもいつかは千里先までたどり着く事が出来るという意味になります。これはコツコツと地道に努力すれば、いつかは大きな成果を上げる事が出来るといったたとえです。
「笑う」の座右の銘を知りたい場合は、下記の記事も参考にして下さい。笑うの座右の銘やことわざ、四字熟語などを紹介しています。
座右の銘にしたいかっこいいことわざ②継続は力なり
座右の銘にしたいかっこいいことわざ2つ目は、「継続は力なり」です。長く続ける事は何事も大変だが、挫折せずに続ける事でいつかは大きな成果が出るといった意味になります。また継続する事は容易な事ではなく、挫折せずに続けられる事自体が大きな力であるといった捉え方もあります。
座右の銘にしたいかっこいいことわざ③罪を憎んで人を憎まず
座右の銘にしたいかっこいいことわざ3つ目は、「罪を憎んで人を憎まず」です。「罪を憎んで人を憎まず」は罪を犯すにはそれなりの事情や理由もある、犯した罪は憎むべき事でも犯した相手まで憎んではいけないといった意味になります。
これは「孔叢子」刑論にある孔子の言葉が語源といわれています。その中で孔子は「昔の裁判所では、罪を犯した心は憎んだが罪を犯した人を憎むことはなかった」という内容の言葉があります。
孔子曰(い)わく、「可なるかな。古(いにしえ)の訟を聴く者は、其(そ)の意を悪(にく)みて、其の人を悪まず。
引用元: 漢字文化資料館
過ちを犯してしまったときの謝罪の仕方を知りたい場合は、下記の記事も参考にして下さい。お許しくださいの敬語の使い方を紹介しています。
「情けは人の為ならず」の意味を知って人に情けをかけられる人になろう
「情けは人の為ならず」についていろいろと紹介してきましたが、何か参考になれる事はあったでしょうか。「情けは人の為ならず」は情けをかける事は相手の為にならないという解釈の使い方は誤用で、情けをかける事で巡り巡って自分に良い報いが訪れるという意味のことわざです。
困ったり、辛かったりしたときに親切に接してもらえる事で、とても勇気づけられたり助けられたりする事はたくさんあります。また人に情けをかけたり、親切な行動をしたりして相手の助けになる事が出来れば、自分の心も満たされとても幸せな気持ちになる事も出来ます。費用や時間をかけなくても、親切はいくらでも出来ます。
ぜひ親切にしてあげられる機会があった時は、ためらわず勇気をもって行動に移してみてください。情けや親切は「良い報い」を期待して行動に移すものではありませんが、きっと巡り巡って自分にもいい知らせが舞い込んでくると思いますよ。
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